2013年11月19日火曜日

お・も・て・な・しの本質と実現可能性

長い前置き

ANAの機内で流れる曲

先月まで出張で毎週のように飛行機を利用していた。航空会社に特に拘りは無いが、マイルを溜め易いという理由で全日空(ANA)を選択することがほとんどだ。
ふと気になって、ANAの機内で乗降時に流れている曲を調べてみた。どうやら葉加瀬太郎作曲の『Another Sky』という曲らしい。憂鬱な(?)月曜の朝の象徴のような曲だったが、改めて聴いてみると結構かっこいい。




ANAの高品位なサービス

曲を聴いていて、出張でANAの便に乗っていた時に、そのサービスが良いことに感動したのを思い出した。
学生時代は金銭的な都合でANAは使えなかった。国内なら新幹線どころか、夜行バスがほとんどだったし、国外に行く場合も格安航空券しか選択肢はなかった。
そんなわけでANAの便には仕事で初めて乗ったのだが、そのサービスのクオリティに驚き、学生時代に高すぎると感じていた価格にも、何となく納得していた。出張で払ってるのは自分のお金じゃないけど。


どんな“サービス”に感動したのか?

しかし、どんなサービスが良かったのかと説明しようとしても、具体的な事例が思いつかない。
トラブルに見舞われた時に客室乗務員が機転を利かせて助けてくれたというようなハートフルストーリーは一つもない。強いて言えば機内で朝食をガツガツ食べていた時に客室乗務員がおしぼりを渡してくれたことくらいか…。

とにかく、特殊なことがあったわけではなく、ただ予定通り搭乗して、予定通り到着して降りる、それだけだった。もちろん、それこそが航空会社が提供すべき「サービス」そのものだと言えばその通りなのだが、学生時代に利用していたような航空会社で遅延や欠航に見舞われたことは一度もない。つまり何かクオリティの差を感じる要因があったはずなのだが、それが見つけられないのである。


好印象≒良サービスという説

話が変わるが、先日、寒くなってきたのでヒートテックを買いに行った際、ユニクロの店員の対応の丁寧さに大変好感をもった。
レジに並んで会計を済ませるという、たったそれだけの接触で、「サービスの良い店だ」と思わされていた。やはり特殊な出来事なしに、当然の業務だけで、その店の“サービス”を高く評価していたことになる(銀座店だったので接客の質に特に気を遣っているという可能性はある)。

ANAの話に戻すと、乗降であるとか、ドリンクサーブであるとか、そういったちょっとした接触の機会における対応の端々への気遣いこそが、ANAへの高い評価の要因ではないかと推定できる。


大勢の消費者たちの一度きりの機会

ANAとユニクロでは業態も提供しているものも全く違うが、窓口になる社員と、大量の消費者が接触するという点が共通している。客室乗務員は一度のフライトで数百人を担当することになるだろうし、ユニクロ銀座店のレジ担当者は一日に数千人を相手にするだろう。社員にしてみれば、それらは全て名前の無い「消費者」でしかない。
だが消費者側にしてみれば、その会社の担当者と接触するのは通常一回きりだ。その一回を、流れ作業の一部ではなく、自分の為に行われた業務であると感じることこそが、いわゆる“高品位なサービス”の本質なのではないかと考えられる。

「一期一会」という言葉がある。相手と会うのは最初で最後の機会かもしれないから、最大限丁重に扱えという茶事の心得であるが、現代のあらゆる企業に対し、この言葉が示唆することは非常に重要だ。


消費者を“一個人”として扱うという承認

ここでは、消費者が相手から一個人として扱われたか否か、すなわち個人として承認されたか否かを評価の基準にしている。
ANAにしろユニクロにしろ、用いている言葉に違いはあるだろうが、接触の瞬間にお客さまを個人として承認することを目標に訓練を積んでいることは間違いなく、その成果として、消費者はその企業を「サービスが良い」として称賛するのである。


お・も・て・な・しの本質と実現可能性

本論はここからなのだが、2020年のオリンピック招致に際し、滝川クリステル氏が、東京でオリンピック開催した際には、東京は「おもてなし」の精神で選手や観客を迎えるとスピーチした。もてなす精神とはまさしく、迎える相手を集合の一部ではなく一個人として認めることに他ならない。

「もてなす」という言葉に完全に対応する英語表現が無いからこそ、彼女は敢えて日本語の単語を使用した。だが、「もてなす」という言葉の存在が、日本人が「もてなす」ことができる証明にはならないという点は注意する必要がある。

オリンピックには大勢の外国人が日本を訪れるだろう。その時、果たして日本人は、彼らを「たくさん来た外人さん」ではなく、それぞれ一個人として承認する――もてなす――ことができるだろうか?

非難しているわけではないが、「Omotenashi」という語を世界に発信してしまった事実は重い。
前述のANAやユニクロは、普段から大勢の外国人を相手にしているし、普段通りの質で業務を遂行すれば特に問題は無かろうが、2020年には、東京(だけでなく日本中かもしれない)の全てのサービスに「おもてなし」が期待されることは間違いない。

日本に「もてなす」という語があることを誇るのは良いが、その語の意味するところを考え、実践できなくては、世界からHe cries wine, and sells vinegar.(羊頭狗肉)と言われてもおかしくない。


2013年11月16日土曜日

「ダサい」を「ください」にする技術

リゾットになるパスタ

スープパスタとは

金沢に出張していた時、駅ビルでスープパスタなるものの店を見つけ、昼食をとるために入ってみた。

公式サイトを見つけたのでリンクを貼っておく。
ルウとパスタ ぶどうの木

スープパスタというのは、麺が浸るほどスープの多いパスタを指すらしい。イタリアンのメニューとして珍しいわけではないが、スープパスタ専門店はあまり無いとのこと。


スープ七変化

メニューには様々な種類のスープパスタが並んでいて、確かに普通の(スープの少ない)パスタは見当たらない。とりあえず下のパスタを注文した。


エビとホタテが入っていたメニューで、名前は忘れてしまった。
こだわりの生麺らしく、流石の美味しさだった。

注文の際に店員から「プラス200円で、スープをスープリゾットにできるチーズライスが付いてくる」という話を聞かされたので、よくわからなかったがとりあえず一緒に注文してみた。

すると、粉チーズのかかったライスが出てきた。なるほど確かにチーズライスだ。


チーズライスとしか言い様がない。

パスタを食べ終わった後の、余ったスープにこれを投入すると、リゾット風のものができあがる。これをスープリゾットと呼ぶわけだ。


ラーメン屋の小ライスとスープリゾット

このチーズライスは、ラーメン屋で出る「小ライス」に相当するものだと気付いた。 

ラーメンのスープに浸した白飯は非常に美味しいが、どうにも食べ方として下品だ。

パスタのスープだって、そういう食べ方があっても良いはずだが、オシャレではない。 
オシャレな店舗でオシャレでない食べ方をするなど言語道断である。

ところがそれを、スープリゾットと呼ぶとどうだろう。
なんともファッショナブルな文化的料理という気がしてくるではないか。


「ダサい」を「ください」にする技術

このように、「望ましい、あるいは合理的ではあるが、世間体が悪くて出来ない」ことに名前をつけ、その行為を社会的に承認してやるという手法は実に面白い。

例えば、冬にワイシャツの下に肌着を着るのは、暖かいが、なんとなくカッコ悪いことだった。

しかし、ユニクロの「ヒートテック」は、その「ダサい」行為を社会的に承認させたのである。

ヒートテックは爆発的なヒットとなり、今や冬場にヒートテック(あるいは他の機能性肌着)を着ない人は居ないほとではないか。

人が「本当はしたいけどダサくてできない」と思っている行為には、爆発力のある市場となる可能性がある。なにしろ本当は皆ほしかったのだから、消費意欲は極めて強いのは言うまでもない。

スープリゾットの存在がスープパスタの店の売り上げを大幅に伸ばすかどうかは微妙なところではあるが…。